PROFILE
1996年11月15日生まれ。東京都葛飾区出身。4歳から水泳を始め、小学生の頃から数々の全国大会に出場した。武蔵野中学高等学校に進学し、競技水泳部に入部。中学1年までは個人メドレーを専門にしていたが、肩の故障をきっかけに、中学2年から平泳ぎを中心に練習し始める。2010年の全国中学校体育大会100m、200m平泳ぎで優勝、2011年の競泳ジャパンオープンの平泳ぎ3種目(50m、100m、200m)制覇など数々の記録を残し、高校1年でロンドンオリンピックに出場。2014年はパンパシフィック選手権、アジア競技大会ともに200m平泳ぎで優勝。早稲田大学に進学し、大学1年で出場した世界水泳選手権では200m平泳ぎで優勝。国内最年少記録を塗り替えた。大学2年でリオデジャネイロオリンピックに出場。2019年に左肘を骨折するも、手術を乗り越え、2021年の東京オリンピックに出場。パリオリンピックの選考会を最後に、2024年6月に引退を発表した。現在は名岐不動産に所属し、小中学生向けの水泳教室や講演会を通じて水泳の楽しさを伝える普及活動「MEIGI BLUE PROJECT」を行う。※「MEIGI BLUE PROJECT」https://www.meigi-holdings.jp/athlete/
渡部香生子さんの学生時代は・・・
肩の怪我をきっかけに平泳ぎの道へ。週10回の練習を積み重ねる

小さい頃は病弱な体質で、よく風邪を引いていました。4歳の時に水泳を習い始めたのは、「スイミングに通うと体が丈夫になる」と耳にしたからです。当時は顔に水がかかるのが大の苦手で、お風呂でも嫌がっていたくらいなんですが、不思議とゴーグルをつけて潜ることは好きでした。楽しい気持ちを原動力にコツコツと練習し、小学生になると選手コースに上がりました。練習は週3回から週6回になり、試合に出ることも増えて、時には全国大会にも出場。表彰台に上るようなことはありませんでしたが、体の成長に伴って、どんどんベストタイムを更新できることがとにかく楽しかったです。
推薦枠で水泳の強豪校である武蔵野中学校に進学すると、朝練やウェイトトレーニングが増え、一番多い時で週10回の練習をこなしていました。苦手なメニューもある中で、真面目に淡々と練習ができるのが私の強みだと思います。
中学校に入ってから専門にしていたのは平泳ぎです。もともとは個人メドレーを専門にしていて、バタフライやクロールが得意でしたが、中学1年生の時に肩を故障し、肩への負担が少ない平泳ぎを中心に練習するようになりました。私には意外と平泳ぎが向いていたようで、中学2年生の時に出場した全国中学校体育大会の100m、200m平泳ぎでは優勝。これまでこんなに良い成績が出たことがなく「なんでだろう、たまたまかな?」と戸惑っていたのですが、翌年に出場したジャパンオープンでも50m、100m、200m平泳ぎで三冠を達成できました。「やっぱり、まぐれじゃなかったんだ!」と自分の実力を実感できた大会です。レースの後はたくさんの記者さんにどっと取り囲まれ、長い時間取材をしてもらえました。突然成績が伸びたことも、周囲の反応の変化にも気持ちが追い付いていなかったのですが、この頃から、いつか世界の舞台に立てるのかも、と意識し始めるようになりました。
高校1年生の時、さっそく世界で戦うチャンスが訪れました。2012年のロンドンオリンピックです。当時は調子が悪い時期が続いていたものの、なんとか代表入りできました。しかし、初めてのオリンピックは何もわからないうちに終わってしまった感覚でした。オリンピック後の日本選手権も予選落ちに終わり、すっかり自分の泳ぎを見失っていました。
転機になったのは高校2年生の時です。思い切って新しいコーチについてもらい、平泳ぎに加えて個人メドレーの練習を再開しました。個人メドレーはバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形と50mずつ泳法が変わるので、テンポ良くリズミカルに泳げる競技です。個人メドレーの泳ぎ方を意識して取り入れたことで、終盤で間延びしやすかった200m平泳ぎも最後までテンポ良く泳げるように。4種目をまんべんなく練習していると気分転換にもなりますし、持久力アップにもつながりました。だんだんと結果が出始め、前向きな気持ちで競技に取り組めるようになると、改めて、日本代表として戦う覚悟も芽生えていきました。
推薦枠で水泳の強豪校である武蔵野中学校に進学すると、朝練やウェイトトレーニングが増え、一番多い時で週10回の練習をこなしていました。苦手なメニューもある中で、真面目に淡々と練習ができるのが私の強みだと思います。
中学校に入ってから専門にしていたのは平泳ぎです。もともとは個人メドレーを専門にしていて、バタフライやクロールが得意でしたが、中学1年生の時に肩を故障し、肩への負担が少ない平泳ぎを中心に練習するようになりました。私には意外と平泳ぎが向いていたようで、中学2年生の時に出場した全国中学校体育大会の100m、200m平泳ぎでは優勝。これまでこんなに良い成績が出たことがなく「なんでだろう、たまたまかな?」と戸惑っていたのですが、翌年に出場したジャパンオープンでも50m、100m、200m平泳ぎで三冠を達成できました。「やっぱり、まぐれじゃなかったんだ!」と自分の実力を実感できた大会です。レースの後はたくさんの記者さんにどっと取り囲まれ、長い時間取材をしてもらえました。突然成績が伸びたことも、周囲の反応の変化にも気持ちが追い付いていなかったのですが、この頃から、いつか世界の舞台に立てるのかも、と意識し始めるようになりました。
高校1年生の時、さっそく世界で戦うチャンスが訪れました。2012年のロンドンオリンピックです。当時は調子が悪い時期が続いていたものの、なんとか代表入りできました。しかし、初めてのオリンピックは何もわからないうちに終わってしまった感覚でした。オリンピック後の日本選手権も予選落ちに終わり、すっかり自分の泳ぎを見失っていました。
転機になったのは高校2年生の時です。思い切って新しいコーチについてもらい、平泳ぎに加えて個人メドレーの練習を再開しました。個人メドレーはバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形と50mずつ泳法が変わるので、テンポ良くリズミカルに泳げる競技です。個人メドレーの泳ぎ方を意識して取り入れたことで、終盤で間延びしやすかった200m平泳ぎも最後までテンポ良く泳げるように。4種目をまんべんなく練習していると気分転換にもなりますし、持久力アップにもつながりました。だんだんと結果が出始め、前向きな気持ちで競技に取り組めるようになると、改めて、日本代表として戦う覚悟も芽生えていきました。
インカレに憧れて進学、同世代の選手と過ごした青春
つらい時、声をかけて応援しあえる仲間がいたから頑張れた

高校卒業後の進路として、実業団に所属する道も考えていましたが、早稲田大学への進学を決意しました。最も大きな理由は、インカレ(日本学生選手権水泳競技大会)に出たかったからです。大学名を背負って戦うインカレは、順位争いだけでなく、次回大会のシード権もかけてOB・OGや大学生が本気で応援してくれるため、ひときわ盛り上がる大会です。シード校の大学は応援席にいる部員とハイタッチしながら入場できたり、決勝に残るとガウンを着て入場できたりするのもかっこいいなと思っていて、すごく憧れていました。同じスイミングスクールの先輩から、早稲田大学の練習環境がとても整っていると聞いていたこともあり、学校選びは迷いませんでした。
大学では1年目から念願のインカレに出場できたのですが、3日間で合計10レースを泳ぐことに。すべてのレースを全力で泳がなければならず、あまりにもきつくて「選択を間違えたかな?」と思いました(笑)。でも、きついぶん、チームで一丸になって戦う感覚が味わえました。青春そのものだったなと、今振り返ればよい思い出です。
同年に出場したカザン世界選手権の200m平泳ぎでは優勝し、リオデジャネイロオリンピックの出場が内定。世界でも成績を残せるようになってきて、自分の泳ぎに少し自信がついてきた時期でした。しかし、オリンピックが近づくにつれて、そのことが逆にプレッシャーになってしまいました。結果を残せなかったロンドンオリンピックも頭によぎり、「もう絶対に失敗できない」と思い詰めてしまったんです。競技人生で一番苦しかった時期かもしれません。
その結果、リオデジャネイロオリンピックでも表彰台には届かず、終わった後には母に「もう辞めて、就職でもしようかな」と弱音をこぼしました。「もうちょっと頑張りなよ」という励ましの言葉を期待していたのですが、母の返事は「辞めたかったら、辞めたら」とあっさりしたものでした。本当は辞めたくない、このままでは終われない、と思っている自分に気づき、はっとしたことを覚えています。
それからは気持ちを切り替えるため、練習環境を変えました。コーチとの1対1練習だけでなく、水泳部の仲間と一緒に練習する機会を増やしたんです。つらい時でも隣に仲間がいることで気持ちを奮い立たせ、踏ん張ることができました。その後も伸び悩む時期がありましたが、与えられた場所で頑張るしかない、という思いで競技を続け、アジア競技大会やジャパンオープンで優勝を勝ち取ることができました。
2024年のパリオリンピックの選考会では、始まる前から、どんな結果になろうと引退しようと考えていました。東京オリンピックを含め3回のオリンピック出場や、世界水泳での優勝も経験でき、もう十分に競技をやり切った感覚があったからです。最後の大会にはたくさんの友人が駆けつけてくれて、オリジナルのTシャツを着て応援してくれました。友人は、涙もろい私に気を遣って、事前に「Tシャツを作ってみんなで応援しているから、頑張ってね」と連絡してくれていたのですが、試合前に応援席にいる友人たちを見たら、結局泣きそうになりました(笑)。パリオリンピック代表には届きませんでしたが、温かく応援してもらえたことが本当に嬉しくて、忘れられない引退試合になりました。
大学では1年目から念願のインカレに出場できたのですが、3日間で合計10レースを泳ぐことに。すべてのレースを全力で泳がなければならず、あまりにもきつくて「選択を間違えたかな?」と思いました(笑)。でも、きついぶん、チームで一丸になって戦う感覚が味わえました。青春そのものだったなと、今振り返ればよい思い出です。
同年に出場したカザン世界選手権の200m平泳ぎでは優勝し、リオデジャネイロオリンピックの出場が内定。世界でも成績を残せるようになってきて、自分の泳ぎに少し自信がついてきた時期でした。しかし、オリンピックが近づくにつれて、そのことが逆にプレッシャーになってしまいました。結果を残せなかったロンドンオリンピックも頭によぎり、「もう絶対に失敗できない」と思い詰めてしまったんです。競技人生で一番苦しかった時期かもしれません。
その結果、リオデジャネイロオリンピックでも表彰台には届かず、終わった後には母に「もう辞めて、就職でもしようかな」と弱音をこぼしました。「もうちょっと頑張りなよ」という励ましの言葉を期待していたのですが、母の返事は「辞めたかったら、辞めたら」とあっさりしたものでした。本当は辞めたくない、このままでは終われない、と思っている自分に気づき、はっとしたことを覚えています。
それからは気持ちを切り替えるため、練習環境を変えました。コーチとの1対1練習だけでなく、水泳部の仲間と一緒に練習する機会を増やしたんです。つらい時でも隣に仲間がいることで気持ちを奮い立たせ、踏ん張ることができました。その後も伸び悩む時期がありましたが、与えられた場所で頑張るしかない、という思いで競技を続け、アジア競技大会やジャパンオープンで優勝を勝ち取ることができました。
2024年のパリオリンピックの選考会では、始まる前から、どんな結果になろうと引退しようと考えていました。東京オリンピックを含め3回のオリンピック出場や、世界水泳での優勝も経験でき、もう十分に競技をやり切った感覚があったからです。最後の大会にはたくさんの友人が駆けつけてくれて、オリジナルのTシャツを着て応援してくれました。友人は、涙もろい私に気を遣って、事前に「Tシャツを作ってみんなで応援しているから、頑張ってね」と連絡してくれていたのですが、試合前に応援席にいる友人たちを見たら、結局泣きそうになりました(笑)。パリオリンピック代表には届きませんでしたが、温かく応援してもらえたことが本当に嬉しくて、忘れられない引退試合になりました。
渡部香生子さんからのワンポイントアドバイス
変化する体に合わせて必要な筋肉を鍛えよう

競技を続けるうえで、基礎となったトレーニングを3つご紹介します。
(1)持久力アップの練習……中高時代に持久力を鍛えておくと、安定して泳げるようになります。私は100mを20本泳いだり、300mを8~10本泳いだりと、量をこなす練習をしていました。怪我で泳げない時期は走ったり、バイクをこいだり、縄跳びを跳んだりして、持久力が落ちすぎないよう陸上の運動で補うといいと思います。
(2)ウェイトトレーニング……中高生は体が大きく変化する時期。体の動かし方も変わって、結果が伸び悩む人も多いと思います。私の場合は高校3年生に進級する前からウェイトトレーニングを始めたことで、重くなった体をうまく扱えるようになりました。水泳は特に背中の筋肉が重要なので、重りをつけたバーを胸の前で上げ下げする「ラットプルダウン」や懸垂がおすすめです。最初はバーだけを持ったり、補助をしてもらったりと軽い負荷からスタートして、正しいフォームで鍛えることを意識するといいと思います。
(3)自重トレーニング……水の中は不安定な場所なので、体幹をしっかり鍛えることがタイムの短縮につながります。腕立て伏せの姿勢で肘から下を地面につけ、つま先で体を支えるプランクや、プランクの姿勢から片方の手足を地面と平行に上げるスタビライゼーションをよく行っていました。腕の下にバランスボールを入れると、より体幹が鍛えられます。
結果を出すためには、栄養、睡眠をとることもトレーニングと同じくらい重要です。また、オンとオフをしっかり切り替えることも、長く競技を続ける秘訣だと思います。うまくいかずモヤモヤしてしまうこともあると思いますが、そんな時はいったん忘れて、自分の好きなことをする時間にあててみてください。
(1)持久力アップの練習……中高時代に持久力を鍛えておくと、安定して泳げるようになります。私は100mを20本泳いだり、300mを8~10本泳いだりと、量をこなす練習をしていました。怪我で泳げない時期は走ったり、バイクをこいだり、縄跳びを跳んだりして、持久力が落ちすぎないよう陸上の運動で補うといいと思います。
(2)ウェイトトレーニング……中高生は体が大きく変化する時期。体の動かし方も変わって、結果が伸び悩む人も多いと思います。私の場合は高校3年生に進級する前からウェイトトレーニングを始めたことで、重くなった体をうまく扱えるようになりました。水泳は特に背中の筋肉が重要なので、重りをつけたバーを胸の前で上げ下げする「ラットプルダウン」や懸垂がおすすめです。最初はバーだけを持ったり、補助をしてもらったりと軽い負荷からスタートして、正しいフォームで鍛えることを意識するといいと思います。
(3)自重トレーニング……水の中は不安定な場所なので、体幹をしっかり鍛えることがタイムの短縮につながります。腕立て伏せの姿勢で肘から下を地面につけ、つま先で体を支えるプランクや、プランクの姿勢から片方の手足を地面と平行に上げるスタビライゼーションをよく行っていました。腕の下にバランスボールを入れると、より体幹が鍛えられます。
結果を出すためには、栄養、睡眠をとることもトレーニングと同じくらい重要です。また、オンとオフをしっかり切り替えることも、長く競技を続ける秘訣だと思います。うまくいかずモヤモヤしてしまうこともあると思いますが、そんな時はいったん忘れて、自分の好きなことをする時間にあててみてください。
※掲載内容は2026年6月の取材時のものです。
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